Story of 15 years 大嶽正史(石橋ボクシングジム)

物語の結末は、まだ誰も知らない。

 かませ犬。ランキングボクサーにとって問題なく勝てる見込みのある対戦相手。大事な試合を控えた調整試合には好都合のボクサーのことをそう呼ぶ。15勝14敗という戦績で、15年という永いキャリアをノーランカーとして過ごしてきた大嶽正史というボクサーがいる。ボクサー定年である37歳の大嶽は、昨年12月に敵地神戸でランキングボクサーについに噛みつき、キャリア初の日本ランカーとなった。そして、用意されていたかのように日本タイトルへ挑戦する。正直、ボクシング界では大嶽が勝てるとは誰も思っていないだろう。しかし大嶽がチャンピオンになることができれば、それは奇跡だ。大嶽は15年の想いのすべてを、自身が描いた物語を完成させるためにリングに上がる。

 大嶽は地元の東京都杉並区でお墨付きのワルだった。都内有数の暴走族の中心的な人物であり、少年院に2度も送致された。18歳から21歳までのほとんどを塀の中で過ごした。しかし、ここで大嶽は人生を変えると決意。己の拳だけで勝負するボクサーになることを誓った。基礎体力をつけるために少年院の中で、隠れて筋トレを続けた。読書の時間に枕カバーを外して、その中に辞書を入れるとダンベル代わりになる。腕立て伏せは、看守に見つかるまで延々と繰り返した。

 出所後、石橋ボクシングジムへ入門。娑婆に出た大嶽には様々な誘いがあった。仲間たちは大金を掴む者、闇に潜む者、誘惑は多かったが大嶽は一切の誘いを断り、ボクシングに集中していく。勝ったり負けたりを繰り返す中で、26歳の頃から付き合っていた彼女と籍を入れて2人の子宝に恵まれた。

「お金だけを稼ごうと思えば、自分には出来たと思います。社長になって稼いでいる仲間もいるし、昔の自分ならばそうしたでしょう。でも僕は、自分の力で戦いたいって思ったんです。あえて厳しい選択をしたのかもしれない。そりゃ世の中、理屈だと金です。これは生きていく上で絶対に必要だけど、僕は自分の本能に従っただけなんです。ずっとランキングにも入れない自分なのに、本当に多くの仲間たちが毎回駆けつけてくれる。自分がここまで続けてこれたのは、応援してくれる彼らのおかげなんです。ボクシングをすることで人に感謝できるようになりました。人に優しくなれました」

大嶽写真2

 「昨年ランカーに勝った試合。あの話が来た時は、独りでよその中学に乗り込んでいくような、あの懐かしい感覚を思い出したんです。これに負ければ定年のボクサーとして終わると思っていました。だから、勝った時は嬉しいというよりも、生き残ったという実感でした。そして日本タイトルマッチ。何年もランキングにいるボクサーには申し訳ない気持ちがあります。入ったばかりの自分がいきなりタイトルマッチですから。でも運よくギリギリでたどり着いたリングだからこそ、思い出作りでやるつもりはないです。チャンピオンとの実力差があるのは充分わかっている。試合はおそらくチャンピオン優位に進んでいくでしょう。まともにボクシングして敵う相手じゃないです。自分が持っているのは小手先のテクニックとか作戦じゃなく、大一番の喧嘩、絶対にぶっ倒してやるっていう気概だけです。ずっと応援してくれた仲間たちのためにも、こんな自分についてきてくれる妻や、2人の子供達のためにも勝ちます。迷惑をかけた両親。みんなには自分が戦う背中を見て欲しい。たとえ敵わないと言われていても、決して諦めない姿勢を感じて欲しい。15年間、何の肩書きを持つこともなく、でも諦めなかったからこそ、最後の最後でここにたどり着きました。かつて自分は悪事の限りを尽くしました。この15年、ランキングすら入ることなく、でも必死で闘ってきました。今は苦しいジムワークも、これが最後なんだと言い聞かせています。本当に充実した時間を過ごしています」

 大嶽正史は闘い続けた。15年もの間、ランキングにすら入れない無様な「かませ犬」と揶揄されようともリングに上がり続けた。並みのボクサーならとっくに辞めていたであろう。だが、この15年に及ぶ苦闘や試練の歳月は、決して諦めずに生きることの大切さや、人に感謝して生きる普遍的な美しさを、大嶽自身の細胞に強く植え込ませていくこととなった。因果応報。大嶽はボクシングで自身を崇高に昇華させることで、これまでのあらゆる罪を償ってきたのではないだろうか。そしてその罪をすべて償い終えた時、37歳のボクサーに最初で最後のギフトが与えられた。

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 この最高の舞台で、大嶽は89歳になる祖母を初めて招待した。大嶽は少年院にいた頃、祖母からの手紙に独り涙を流していたという。

「自分はおばあちゃんに育てられました。両親も勿論好きだけど、おばあちゃんが大好きなんです。おばあちゃんは僕がリングに立つ姿をずっと見たくないと言ってたけど、自分が15年間必死でやってきたものがこれだよって伝えたいんです」

 奇跡は起こるだろうか。

物語の結末は、大嶽自身が掴み取る。

(写真・文 林建次)

Profile
大嶽正史(おおたけ まさふみ)
石橋ボクシングジム所属
1979年6月10日生まれ
東京都杉並区出身
戦績:32戦15勝(7KO)14敗3分
日本フライ級7位