親父の背中。 粉川拓也(宮田ジム)

未だ果たしていない約束がある。お父さんは強いんだぞ、と子どもたちが自慢できる親父になりたいんです。

 2011年7月1日。現日本Sフライ級王者、粉川拓也は敵地タイで、通算戦績97戦90勝(47KO)5敗2分け、世界フライ級王座史上トップとなる17回の世界王座防衛記録を持つ伝説の王者、WBC世界フライ級王者、ポンサクレック・ジョンウォンカムとの世界タイトルマッチに挑んでいた。

「何度も倒されそうになりました。でもポンサクレックは倒しにこなかった。余裕で流しているのが試合をしながらでも分かりました。でも自分には何もできなかった。試合中、それが悔しくて悔しくてたまりませんでした」

 それまでの粉川の戦績は華やかなものだった。僅か1敗を喫したのみで、プロ18戦目で東洋太平洋Sフライ級王座を獲得。すぐさま返上し、プロ19戦目で迎えたのが、この世界タイトルマッチであった。しかし、この世界戦という大舞台で、12ラウンドを生かさず殺さず、悪戯にもてあそばれ、終了後のゴングを聞いた。これほどまでの屈辱はない。
 粉川の脳裏には、この体験が深く刻み込まれ、その後、自身の『強さ』を全く自覚できないという暗澹とした影を落とすこととなる。「強さ」とは何か。日本王座を獲得しても、防衛を重ねても、粉川にはその答えが見つからなかった。

粉川写真2

 2013年1月19日。3度目の防衛戦まで、ラスト1カ月を切り、最も追い込みをかける時期であった。練習を終えてロッカールームで携帯電話の画面を見た瞬間、嫌な予感がした。母からの何十件にも及ぶ着信。すぐさまリダイアルしたところ、嫌な予感は的中した。「お父さんが亡くなったの。家で倒れていて・・・・。その時はすでに・・・」粉川は目の前が真っ白になった。

 少年時代の粉川はいつも父親と一緒だった。父親の克己さんは、昼間は配送業、夜は麻雀屋を経営していた。昼間は父親の運転するトラックの助手席にちょこんと座り、夜は客でにぎわう麻雀屋で時間を過ごした。酒が大好きで、たまにダメなところもある、しかしいつも粉川をおおらかな愛で包んでくれる、そんな父親が大好きだった。父親の人間味あふれる姿を見て微笑み、そして信頼と安心感の中で眠りにつく少年粉川。まるで漫画『がんばれ元気』のシャーク堀口と少年元気の関係のように。

 身体には力が入らず、心は抜け殻のようになった。一時は歩くことさえままならない心理状態であったが、粉川はそこに「父親の愛」を見つけ、それこそが自分の強さであることを確信した。「父親の死を理由に練習ができない。試合に負ける。そんなダサイことはできない。俺はあの父親の息子なんだ」試合中も追い込まれれば追い込まれるほど、父親の顔が浮かび、溢れ出すタフネスで激しい打ち合いに応じ、そして打ち勝った。

 そして今、粉川は二人の息子の父親となり、「ああ、俺も親父にこのように愛されていたんだなあって思うんです」と静かに語る。試合は息子の力一(りいち)君、希一(きいち)君がリング下で見守る。勝利すれば、恒例の親子の記念撮影だ。最近、長男の力一君に変化がみられる。これまではリングに上げられると、ややおぼつかない様子で粉川の腕に抱かれていたが、今は「これが俺のお父さんだぞ」と自慢するように、強い目でカメラに拳を向ける。子は親の背中を見て育つ。これは真実だと感じた。

 そんな二人の子どものために、粉川にはやらなくてはならないことがある。それは、今やともに世界の頂点を目指すために、スパーリングを重ねあう仲となった村中優へのリトライと、そして世界王者のベルトを巻くということである。
村中とのタイトルマッチでは王座を奪われることとなったが、全て1P差の1-2判定負けであり、どちらの手があがってもおかしくない試合であった。事実、両者の心の中では決着がついていない。そして5年前、タイで味わわされた屈辱へのリベンジ。その道のりを阻まんとする者がいれば、その挑戦を真っ向から受けて立つ。

 今回対戦する大嶽正史という男が、どのような男か、粉川は肌で感じているだろう。戦前の予想は圧倒的に粉川有利であるが、おそらく大嶽は人生の全てをぶつけてくる。例え肉体が朽ちても立ち続けるであろう、凄まじい精神力、根性、意地。それは、これからの粉川にとっても重要な要素である。
 父親の愛、そして息子たちの眼差しを胸に、粉川は大嶽の想いを全身で受け止める。それが、粉川という男の「強さ」の証明。世界を獲ろうとしている日本王者のプライドである。

粉川写真3

(写真・文 日ノ本一)

Profile
粉川拓也(こがわ たくや)
宮田ジム所属
1985年4月5日生まれ
東京都千代田区出身
戦績:30戦26勝(13KO)4敗
日本フライ級王者(防衛2)
元東洋太平洋Sフライ級王者
現在IBFフライ級7位/WBA同級11位