花道は自分で勝ち獲る-闘い続けた男のラストファイト-福原力也(ワタナベジム)

投稿

花道は自分で勝ち獲る-闘い続けた男のラストファイト-

 福原力也には、忘れられない試合がふたつある。

 ひとつは2004年1月、初の日本ランク入りを決めた雄二・ゴメス(八王子中屋=当時)戦。確かに元日本フェザー級王者で、19勝18KO(3敗)の強打を誇ったアメリカ人ボクサーを最終8回に沈めた右アッパーは、あまりに鮮烈で美しかった。

「あれは、初めて試合中にインスピレーションが湧いたというか。あの瞬間、『あ、今日はまだ一発もアッパーを打ってない』というのと、アッパー一発で倒したスパーリングのイメージが、コンマ何秒の間に浮かんできて」

 もうひとつは05年9月、ゴメス戦から6連続KOと、勢いに乗って臨んだ日本タイトル初挑戦。無敗の“ディフェンス・マスター”木村章司(花形)をスピーディーかつ積極果敢なボクシングで攻め落とし、大方の予想を覆す大差の判定勝ちで見事に日本スーパーバンタム級王者となった。初のランキング入り、初のベルト奪取となれば、いずれも記念碑的な試合には違いないが、福原の心に深く刻まれている理由はそれだけではない。

「自分の中では、試合までのバックグラウンドでいろいろなことがあったので、それが大きかった」と福原は振り返る。

 当時の福原には、父親が経営する会社の専務取締役の肩書きもあり、多忙な日々の中でボクシングを続けていた。ところがランク入りが懸かったゴメス戦と、会社の経営状況が苦しくなってきた時期が重なってしまう。父親からは、「この試合で日本ランカーになれないなら、上にも行けない。もうボクシングは辞めて、会社に専念してほしい」と懇願された。「もし負けたら」という条件で約束を交わし、覚悟を持って上がったリングだった。

「だから、勝った以上に辞めなくてもいいという喜びのほうが大きくて。あれで命拾いして、ボクシング人生がつながった」

 ただし、日本ランカーになったからといって、事態が好転するわけはない。ボクサーとしての可能性が広がる一方で、会社での責任は増すばかりだった。どちらも時間が限られる中、早朝から深夜まで1分たりと無駄にできる時間はない。くたくたになって自宅に帰り着き、泥のように眠る毎日が続いた。だが、ちょうど木村挑戦が決まった頃だった。父親の奔走の甲斐なく会社が倒産してしまうのである。

 精神的に厳しい状況で迎えた木村戦は「モチベーションがハンパなかった」という。「しがみつくじゃないですけど、会社も倒産して、タイトルも負けてしまったら、俺にはもう何もないじゃないですか」。切迫した思いが報われた勝利の瞬間は、歓喜だけではなかった。会社の倒産で路頭に迷わせてしまった社員たち、その家族、迷惑をかけた取引先に対する辛い気持ち。憔悴しきった両親へのやるせない思い。ひたすら目の前のことに集中し、ボクシングと仕事だけに全精力を傾けてきた濃密な日々。一言では言い表せないような感情の渦が涙となって、福原の目からあふれ出た。

 このベルトは絶対に誰にも渡さない――。プロボクサーとして生きる決意を固め直し、さらに上を目指すことを誓った。そういう人生の分岐点となる試合でもあったのだ。だが、それから7ヵ月後の2度目の防衛戦で、福原は思いもよらないアクシデントに見舞われることになる。

福原力也"

試合は、福原が初回にダウンを奪われる立ち上がり。勢いづく挑戦者を止めようと、右アッパーを突き上げた瞬間だった。右腕に激痛が走った。ブロックする相手のヒジと激突したのだ。試合後に骨折が判明する痛手を負いながら、その後も左一本で粘り抜くが、9回終了時点で棄権するしかなかった。一度はボクサー生命を救ってくれたパンチと同じとは皮肉だが、大切なベルトを失い、「頭が真っ白になった」という福原にとって、これが試練の始まりだった。

手術を経て、9ヵ月後に復帰。だが、07年12月の復帰3戦目で再び右腕の別の箇所を骨折してしまう。絶望感に襲われてもおかしくないはずが、それでも福原は1年5ヵ月の長いブランクを乗り越えて、リングに戻る。この時点で30歳。しかもベルトどころか、ランキングまで失っての再出発だった。

「やっぱり、会社の倒産が大きかったですかね。これで引き下がってしまうのは、ちょっと違うかな、と思って。そこからは雑草魂。一度は根こそぎ取られちゃったんだけど、まだ根っこが少し残ってたから」

それからは、怪我との闘いでもあった。キャリアの終盤は、両ヒジ、両肩、両ヒザと関節という関節に爆弾を抱え、常にどこかに痛みがあった。特に今でも手術の跡が残る右腕は骨が変形しているほど。試合に向けて、できることが限られる中での最大限を自らに課し、リングに上がり続けたが、チャンピオンになったときの「さらに上を目指す」という誓いを忘れたことはないという。

今年3月、2年続けて日本ランキング1位の最強挑戦者としてチャンピオンカーニバルに出場。過去3度の世界挑戦経験を持つ強打の日本フェザー級王者、細野悟(大橋)に再び挑戦し、約10年ぶりとなる王座返り咲きと、上への道を阻まれたとき、ついに自分の限界と現実を受け入れた。

2000年6月、21歳のプロデビューから16年半。「やれるところまでやって、納得して辞められる」と福原は言う。

「振り返るといろいろなことがあったけど、辞めるとなったら、ボクシングに対して、感謝の気持ちがより一層湧いてきたというか。あらためて、僕はボクシングですべてを学ばせてもらったな、という思いがありますね」

今後は、ボクシングを通したダイエットやボディメイクを教えるパーソナルトレーナーとして独立する予定。すでに5年ほど前からワタナベジムのフロアなどを借りて活動してきたが、ジムを設けるかは未定という。

福原力也"

体がボロボロになっても、諦めずに戦い続けてきた男らしく、12月19日は主役に花を持たせるような引退試合も、形だけの引退スパーリングも断った。その前日には38歳の誕生日を迎える。最後までプロボクサーに徹し、新たな一歩を踏み出すつもりだ。

「応援してくれた人たちに最後に戦う姿を見せたかったし、僕がダウンしても、それはそれで面白いんじゃないかな、と思って。相手は僕より軽い階級だけど、フィリピンの選手はパンチを振ってくるし、あるかもしれないですよ」

わがままを言って、戦う舞台を用意してもらった。あとは自分の力で花道を勝ち獲るだけと、福原は端正なマスクをほころばせた。

文・船橋 真二郎 写真・日ノ本一(ひのもとはじめ)
 
Profile

福原力也(ふくはら りきや)
ワタナベジム所属
1978年12月18日生まれ
千葉県市川市出身
戦績:41戦31勝(23KO)9敗1分
日本フェザー級5位
元日本スーパーバンタム級王者