Take it easy土屋修平(角海老宝石ジム)

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Take it easy

「二番じゃダメなんです」

 連日の追い込み練習で疲労困憊の身体を山手線のつり革に預け、土屋は静かに語り始めた。窓に映り込む大塚の街のネオンが土屋の黒い瞳を、時に黄色く、時に赤く変えていく。それはまるで、土屋がここまで辿ってきた光と影を映し出しているかのようだった。土屋修平といえば煌びやかな光を纏ったsexy boy。ただそのsexyさには、どこか影があった。それは、強烈な劣等感がにじむ、哀しい光であったことを僕ははっきりと知ることとなる。

 土屋のバックボーンは空手。小学生で、地元愛知県の道場に入門し、持って生まれた格闘センスと負けん気の強さでめきめきと頭角を現した。しかし、それ以上に注目を集めていたのは、天才空手少年と呼ばれ、史上最年少の16歳でプロレスデビューした中嶋勝彦であった。土屋は常に同門中嶋に次ぐ二番手。中嶋に勝ちたい一心で、腕立て伏せをする時も、中嶋が100回行えば土屋は101回。中嶋が102回行えば土屋は103回と意地をぶつけあっていた。気づけば200回を超えることはざら。食事の際でさえ、中嶋が10杯食べれば土屋は11杯と、両者の切磋琢磨は至る所で永遠と続いたが、やはり最後に脚光を浴びるのは中嶋であった。

 中嶋はプロレスデビュー後、数々のタイトルを奪取。2004年にはプロレス大賞新人賞受賞。2005年には敢闘賞受賞と、未来のプロレス界を背負って立つタレントに成長した。一方の土屋は中嶋に遅れをとりながらも、大東文化大学在学中にキックボクシングでプロデビュー。パンチ主体の攻撃でKOの山を築き、日本ウェルター級4位まで上り詰めたが、天井知らずのマネーが飛び交うワールドボクシングのエンターテイメント性や、Noble art(高貴な芸術)と呼ばれるボクシング自体が持つ競技性に強い憧れを抱き、一念発起。

 有名どころのボクシングジムを見学して回り、大塚の角海老宝石ジムで運命的な出会いを経験する。「ナンパですよ」。土屋は遠くを見つめていた哀しい目から一転していたずらっ子のような目で笑う。「唯一、声をかけてくれたのが田中先生だったんです」。世界王者、小堀祐介を育てた名伯楽、田中栄民トレーナーの一言一句は、土屋にとって新鮮かつ衝撃の連続であった。「インターバルで、こうやってみろって言われて、その通りにやると本当に当たるんです。なんだこの人すげえって」。田中の天才的なひらめきと土屋のセンスが見事なまでに融合し、2009年のプロデビュー以来、破竹の快進撃。2010年の東日本新人王戦は土屋の独壇場だった。7戦全てがKO勝利。しかも全試合2ラウンド以内で倒し切り、お決まりのバック宙からのキメポーズ。土屋劇場さながら、当然の如くMVPを獲得。続く全日本新人王決勝では、現日本Sフェザー級王者、尾川堅一(帝拳)に唯一の黒星をつけた三好祐樹(FUKUOKA)の顎を1ラウンドで粉砕し優勝。東日本に続くMVPを獲得した。各社テレビ局やメディアはこぞって特集を組むなど、ボクシング界は土屋一色に染まり、芸能プロダクションに所属が決まるなど土屋は一気にスターダムにのし上がった。

 幸か不幸か、このインパクトは凄まじく、日本ライト級12位にランキングされながらも、なかなか対戦相手が見つからない状況に陥ることとなる。更にはランクイン直後、同門で同階級の加藤善孝(角海老)が日本ライト級王座を獲得。その後3年間に渡り王座を守り抜き、それは同時に、土屋が日本タイトルマッチを行えないことを意味していた。土屋にとっては目標の定まらない日々が続き、連勝は重ねるものの、連続KO記録は12で途絶えた。さらに、一心同体であった田中が急遽ジムを去ることとなり、雲行きは一転。2013年2月、当時日本ライト級ランキング4位の川瀬昭二(引退=松田)に初の敗戦を喫し、続く同年7月の再起戦では当時OPBFライト級13位、現OPBFライト級王者、WBCライト級6位の中谷正義(井岡)にKO負け。屈辱の2連敗を喫した。身体の半分を失ったかのような覇気のない土屋の戦いぶりに、「しょせん土屋は新人王レベルだった」、「このまま消えていくよ」と容赦ない厳しい声も飛び交った。土屋の取り巻きも、一人、また一人と消えていった。土屋は語る。「初の敗戦、初のKO負けという結果よりも、試合中に自分の気力が湧いてこなかったことがショックでした。やるべきことは分かっていました。でもその気力が湧いてこなかったんです」。ボクサーにとって一番重要なモチベーション。その火が消えかかっていることを土屋は感じていた。メディアに大きく取り上げられた後の急転落。様々なバッシングにも晒され、誰も信じることができなくなった土屋の脳裏には「引退」の文字もよぎった。そんなボロボロの土屋を支えていたのは、他ならぬ加藤ら、角海老宝石ジムのチャンピオンたちの存在であった。加藤善孝、高山樹延、小國以載、岡田博喜。王者としての輝き、存在感、説得力を身近に感じとることができた。「ぶっちゃけ言ってしまえば、何も成し得ていない強烈な劣等感が俺にあった。ずっと二番だった俺の人生。何かを変えなきゃいけないとずっと思っていた。辞めるという選択肢も当然出てきた。でも周りはみんなチャンピオンで、俺だけは違う。俺も同じように結果を残さなきゃいけない。自分が今までやってきたことに何かの意味というか、何か形あるものが欲しかった」。

野口将志"

 転機となったのは2014年4月、オーストラリアはメルボルンで行われたWBOアジアオリエンタルSライト級王座決定戦。結果はタオル投入の10RTKO負けではあったが、世界ランカー、レニー・ザッパビーニャ(豪州)に対し、一歩も引かない打撃戦を展開。いつもならばザッパの強打に屈する対戦者が、今日は倒れない。土屋の大和魂に心を打たれた観客たちは、土屋にザッパ以上の大きな拍手を送った。地元メディアやファンたちは、「ザッパのキャリアにおいて修平は一番タフで勇気ある対戦相手だった。」と最大の賞賛を送った。煌びやかな海外で世界ランカーと対戦するという大きな刺激は、土屋のモチベーションを大きく揺り動かした。その後、原田門戸(リッキー・シスモンド)には競り負けたものの、復調の兆しを見せはじめ、昨年12月には当時6連勝中の日本Sライト級3位、松山和樹(山上)に1RKO勝利。これまでカウンター中心の土屋に、自ら圧力をかけ、コントロールする過程で倒すという新たなパターンが加わった瞬間であった。倒すだけではない。試合全体を通じて、いかなる局面でも様々な攻防の出し入れから自分のパターンへの繋ぎを作り出す。新人王時代にはなかった視点が垣間見えた。

 もし、新人王を獲った直後にタイトルマッチの話がきたらどうだったか。僕はいじわるな質問をぶつけてみた。土屋はこう答えた。「それはそれでよかったかもしれない。けれど、その間、様々な経験をした。ボクシングでも、それ以外でも。だから今が最高の状態。今が一番強いと自信を持って言える」。

 土屋は更に続ける。「ボクシングは最高のエンターテイメント。俺はボクシングを面白くしたい。でも、それには結果が必要。結果を残していない奴の言葉なんて誰も耳を貸してくれない。社会だってそうでしょう。俺は、必ずチャンピオンになる」。

 僕はデビュー直後の土屋修平といくつかの会話を交わしている。当時の彼も「チャンピオンになりますよ。」と語った。その言葉を僕は今でもはっきりと憶えている。あれから7年。「チャンピオンになります」。土屋は全く同じ言葉を僕に語ったが、そこにある重量は似ても似つかないものであった。そこには、酸いも甘いも経た後、苦しみながらも重ね続けてきたプロボクサー土屋修平の「意地」が、こびりついていた。土屋の合言葉「Take it easy(気楽にやろうぜ!ムキになんなよ)」。この逆説に土屋の強く深い葛藤が読み取れる。

「二番じゃだめなんです」。土屋の7年間。いや、少年時代からの劣等感を、彼はどのようにリングで昇華させていくのだろうか。

土屋修平

7年前の土屋修平

写真・文 日ノ本一(ひのもとはじめ)

Profile
土屋修平(つちや しゅうへい)
角海老宝石ジム所属
1986年9月20日生まれ
愛知県犬山市出身
戦績:25戦21勝(17KO)4敗
日本ライト級1位